新聞の上に置いたおれの顔に、指で触れてみる。 まぶた、鼻、唇。自分の顔をしみじみ見つめて触るなんて、ものすごいナルシストになった気分だ。 もちろん自分が全然ナルシストじゃないなんて思ってない。人間、誰しもナルシズムを持ち合わせてないとやってられなくなると思う。 おれはその白く無表情に眠る自分の顔にラップをかぶせ、紙粘土をその上に薄く貼り付けていく。自分が埋められていくみたいで、あんまりいい気分ではない。 「何やってんの?」 背後からひょいと真理在がのぞきこんだ。 「え、何それあんたの顔?」 「そう。美術の先生に石膏で型とって作ってもらったんだ」 数日ぶりに家に帰ってきた由以姉も、ビール片手におれの手元をしげしげと見る。 「きれいにできてるじゃない。デスマスクみたいでちょっとぞっとしないけど」 「でしょう?おれも作ってもらったの後悔したんだ。どう処分しようかと思ってる。苦労したんだけどなー結構」 言いながら粘土を重ねていく。 「知ってる?石膏でどうやって型取るか。顔中にワセリン塗って息できるように鼻にストロー突っ込むんだから。固まるときに熱くなるしさー石膏。もう散々だった」 二人の姉は声を立てて笑った。 「あはは優貴それ傑作。あんたが間抜けな顔してそんなことしてるなんて」 由以姉はしばらくひーひー言って笑っていた。真理在も笑う。 「それ誰にも見られなかったでしょうね」 「当たり前。・・・美術の先生以外は」 「それ、女の先生?」 「うん」 それを聞いて二人はまたひとしきり笑った。 「でさ、全部終わってからすごく複雑そうな顔でおれを見るんだよ。まったくやめてほしいったら」 由以姉などは腹を抱えてげらげら笑っている。美人女優が台無しだ。 「・・・で、そこまでして何作ってんの?」 真理在がおれの隣に座った。作業をとっくり見物する気になったらしい。 「面だよ。鬼の面。文化祭のクラス劇で使うんだ。おれがつけるの」 「うっそ優貴劇出んの?見に行かなきゃ。何の役よ」 「だから鬼だってば」 粘土で凹凸を減らしただけで、おれの顔とは似ても似つかなくなった。目を吊り上げてみる。表情がなくてすでに結構怖い。 「・・・ふーん」 由以姉が感心したんだかなんだかわからないような声でうなった。 「鬼?優貴が?」 真理在はあからさまに不満そうだ。 「ずっと面ははずさないよ。だから頑張ってちゃんと作ろうと思ったの」 「えー・・・もったいない・・・なんで顔出さないのよ」 真理在が言い、おれは思わず吹き出した。真理在が言うだろうとおれが頭の中で考えた言葉と一字一句違わなかったからだ。 「そういう脚本なの。おれがやりたいって言ったんだよ。鬼の役。どうしてもって」 口を大きく、裂けんばかりに作って薄い唇の形を整えていく。なかなか難しい。 ふーむとまた由以姉がうなった。 「どんなホンなの、それ」 「教えちゃったら面白くないじゃん、由以姉も見に来てよ。役者はダイコンだけど、台本はなかなかいいと思うんだ」 「ふーん・・・」 今までの中では一番気のあるふうに由以姉がうなる。 「あの学校の劇って、なんかマニアックなんだよな・・・」 ぼそりとつぶやいた。おれは思わず笑ってしまった。 「否定はできないな」 学校の中に、表に出るかでないかは別として、何かのマニアがやけに多いことは、内部にいるおれにはよくわかる。 「ま、時間があれば行くよ。優貴のやりたい鬼って役も見てみたいし」 「由以姉は鬼の役とかやったことある?」 真理在がたずねた。 「ないなー・・・鬼だとはよく言われるけど」 「あはは、言われてそう言われてそう」 「発声の鬼とか、立ち位置の鬼とかね。こないだのほら、キャリアウーマンのときなんて、鬼のようだと毎日のように言われたし」 おれと真理在は遠慮なく笑った。 確かにあれは怖かった。普段の由以姉からは想像もできない四角四面な女性の役で、歩き方から何から全然違って、役者なんだなぁとしみじみ思ったものだ。 「あたしもよく言われるんだよねー・・・鬼ってさ。うちの部活って、結構自己満足の世界でしょ。どうしてもここは譲れないって突き詰めてると必ず言われるんだ。泉川さんは鬼だって」 真理在はちょっとため息をついた。 「あれって結構嫌な気分になるんだよね。うまくいってないときって特に」 由以姉も頷く。どうやらこの家の者は鬼と呼ばれる人が多いらしい。 「決してけなしてるわけじゃないんだけど、ほめてもないんだよね、あの言葉」 おれも実は実にしばしば言われる。生徒会の仕事をしていると、本当に嫌になるくらいだ。 「一歩引いて、お前は特別、お前はおれとは違うんだって突き放されてる気分になる」 「そうそ、絶対ひがみ入ってるよね」 真理在が力強く同意した。 「ま、彼らにできないことをわたしたちがやってるんだから、別にいいんじゃない、言わせておけば」 由以姉が冷めた声で言い、真理在もさらりと返す。 「まぁね」 鬼の顔が出来上がる。無表情なくせに思ったより人間くさい。 「どうかな」 「いいんじゃない」 由以姉は言って興味が失せたようにふらりとソファに戻った。 「目とか口とか穴開けなくていいの」 「あ、開ける開ける」 部屋にカッターを取りに行って戻ってきたら、あかりが面を見ていた。 「優兄、これちょっといじってみてもいい?」 帰ってきたばかりらしく、制服のままかばんはそばに放り出されている。 「いいよ」 言うが早いかあかりは器用な手つきですばやくおれの形作った鬼の顔に手を入れていく。その動作は、よどみなく、すばやい。 おろしている長い髪が落ちてくるのを時々うるさそうに掻きやりながら、あかりはしばらくその作業に没頭していた。 「すごいあかり、さっきよりだいぶ鬼っぽくなった」 真理在がおどろいた声で言う。 本当にちょこっといじっただけで、人間くささがかなりなくなった。 あかりがへへっと笑っておれを見上げる。 「ど?」 「・・・すごい」 「あ、カッター貸して。穴開けるんでしょ」 目と口を細くくりぬいて、あかりは面の出来を眺めた。 「色も塗ってあげようか?」 これはあかりに頼んだ方がいいものになりそうだ。 「・・・お願いする」 明かりはうれしそうに笑い、面をそっと取り上げる。 「じゃ、これ持ってってもいい?あさってまでにはできると思うけど」 「そんなに急がなくていいよ」 「そう?でも早めに仕上げるね」 あかりはおれの顔を見てにこっと笑った。自分の妹ながらものすごく可愛い。「うちの三つ子は何事かと思うくらい可愛い」というのは真理在の言だが、おれもまったく同感だ。 玄関の方で騒々しい音がした。 「ただいまー」 派手な足音とともにまどかが居間に走りこんで来、空いていたソファーに倒れこんだ。息が荒い。後からいつきが走ってきて床にへたり込む。同じく荒い息をついてる。 「勝ったーぁ」 まどかがまだはぁはぁ言いながら起き上がる。頬が上気して真っ赤だ。 いつきは恨めしそうにまどかを見やる。 「脱ぎにくい靴はいてたのすっかり忘れてた・・・革靴なんて脱ぎやすいのに絶対勝てっこないじゃん」 「何よあの靴すごい走りにくいんだから。あんた運動靴のくせによく言うわ」 悔しそうな顔になったいつきは、騒ぎをよそに悠々とテレビを見ていた由以姉に気づいた。 「あー、由以姉こんな昼間からもうビール飲んでる」 「もう夕方だよ」 いつきの方も向かずに由以姉はビールを飲み干した。 あかりが自分とそっくりな兄姉をきっとにらみつける。 「二人とも一緒に帰ってきたの?ずるいわたしも誘ってよ」 「違うよ偶然公園の前で会っただけ」 「そうだよ何で一緒に帰る約束すんだよ学校違うのに」 三つ子はかしましく話をし出す。一人一人ならそうでもないが、三人集まるとなぜだか声が大きくなる。 おれは新聞を片付け、真理在はその辺に置いてあった雑誌を手に取りソファに座った。 「でさ、いつきが今日体育鬼ごっこで」 「いつきんとこそんなことするの授業で」 「うん」 「一回も捕まらなかったって言うから」 「一時間中?」 「いや」 「どっちが早く家まで帰れるかってことになって」 「なんでよ」 「いや、なんとなく」 「で、あたしの勝ち、と」 「・・・おめでとうまどか。あ、髪おでこに張り付いてるよ」 「そう?」 「あかり50m走何秒だっけ?」 「さぁ。忘れたけど。ていうかこの場合長距離なんじゃないの」 「あ、そか」 「ちなみに長距離のタイムも覚えてないから」 一見おっとりしていそうなあかりがすばやく突っ込みを入れている。女二人で男のいつきは多少分が悪い。 「よし」 由以姉が重々しくいい、突然立ち上がった。 「鬼ごっこをしよう」 「え」 真理在がすごぉく嫌そうな顔をした。おれも嫌だ。 「どこでよ」 まどかが手で顔を仰ぎながら言う。 「公園」 「もう夕方だよ?」 「別に問題はないでしょ」 「えーやだよおれもう十分走ったもん」 いつきが制服のシャツを脱いでタンクトップになった。ぐでんと床に仰向けに寝転がる。いったいどれだけ本気で走ったのだろう。 「・・・あたし今月の司令権、まだ使ってないよね」 由以姉を除く全員がぎくりとした。 ・・・嘘だろおい。明日まだ平日なのに。司令権とか使われたら従うしかないだろ。 「使っちゃおうっと。全員ジャージとTシャツに着替えて運動靴で玄関集合ね」 有無を言わせぬ笑みをぐるりと家族中に向ける。 由以姉は言い出したら絶対きかないのだ。 「・・・・・・はーい」 あかりが最初に返事をした。三つ子たちは結構素直に着替えをしにそれぞれの荷物を手に二階へあがっていく。 おれはしぶとく由以姉に食い下がった。 「暁兄はよ。今日帰ってくるんだろ?うちに」 「メモ置いとくわ。公園来るか、晩御飯作るかしとけって」 真理在もしぶしぶ立ち上がった。 「あきらめよう優貴。司令権発動されたし」 「その通り。あんたに拒否権はありませーん」 おれたちも仕方なく部屋へ向かった。まったく、由以姉はいつだってこういうくだらないことに司令権を使うのだ。 鬼ごっこなんで何年ぶりだかわからない。 ・・・でも、ま、たまにはいいか。 |